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  • 情報システム No.01

【キャリアインタビュー】
チームも私自身も、
理想の姿を諦めない

情報システム チームリーダー
工学部 2005年卒業

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【キャリア年表】

1年目~6年目

情報システム/アプリケーション担当


7年目

育児休職


8年目~10年目

情報システム/サプライチェーンマネジメント担当


11年目

育児休職


12年目

情報システム/サプライチェーンマネジメント担当


13年目〜

海外赴任同行休職(配偶者の海外転勤に伴う休職)


14年目〜17年目

情報システム/タイ花王 駐在


18年目

情報システム/環境情報チームリーダー

就職活動~入社初期

想像以上に難しかった初期配属先での業務

大学は工学部の知識工学科だったので、SIerやメーカーの情報システム部門をメインに就職活動を行っていました。情報システム部門が社内確立され、事業貢献している会社かどうか、ここをポイントに様々な業界を見ていました。志望度の高い企業が花王を含め3社ありましたが、うち1社はご縁がなく、もう1社と悩んだ末に最後は花王を選びました。花王は、面接官の皆さんが私の意見を尊重してくれたことが非常に印象的で、最終的にその点が決め手となりました。
入社してみて社風にはギャップはありませんでしたが、仕事は思っていた以上に難しいものでした。私の初期配属部署は、花王製品の社内運用コードや販売用バーコードを発行するシステムを扱っており、そのコードには購買・生産・物流・販売といったあらゆる部門の情報が紐づき、一元管理されていました。業務を行う上ではこれら各分野のサプライチェーンマネジメントについて広く学ぶ必要があり、配属直後は周囲から飛び交う言葉も全く分からず、とにかくストレスフルな日々を送りました。システムについてのユーザー部門(先の購買・生産・物流・販売など)からの問い合わせもピンポイントな内容が多く、なかなか回答もできませんでした。該当項目についてのキーパーソンを見つけては教えを乞い、それこそ執務フロア中の方々に聞いて回っていたと思います。業務の様々な「点」が、「線」へと繋がっていくのには1年ほどかかりました。

入社4年目~6年目 ①

とにかくガムシャラに向き合った、
大規模な基幹システム移行プロジェクト

この時期、20年に一回しか行われないような大規模な基幹システムの移行プロジェクトがありました。システム自体を別のパッケージへと差し替え、生産・購買・販売・会計などで用いる業務システムもガラリと変え、新たなものに一元化させるという案件でした。情報システム部門の約半数の社員が本件に関わっており、また各部門で現場の仕組みを管理する方々も、案件(チーム)ごとにプロジェクトに配置されていました。社外コンサルも何百人と関与する、本当に大きなプロジェクトでした。
私のチームは花王製品の品目管理を担っており、関連する業務システムの中では最初に稼働を控えていました。しかしシステム構造上は、他チームが担当するシステムの要件設定が固まらないと設計を始められない、難しい状況にありました。設計と開発の期間がとても短いチームだったので、他チームに対してもドライに要件確定の期限を設けたりするなど、スケジュール通りに如何にプロジェクトを進めるかを学んだ時期でもありました。
また、私個人もプロジェクトの一部方針変更の影響で急きょ、担当アプリのインターフェース開発を自前で実施することになり、そのプログラムを書くために遅くまで残業する日が増えました。「何としてもスケジュールに間に合わせなければ」と、とにかくガムシャラに働いていたことを覚えています。

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入社4年目~6年目 ②

深く実感した、チームで働くことの重要性

私が所属していたチームは、所属する4人が個々に責任を持ち、別々の項目を担当するようなスタイルでした。チームメンバーの関係性も良く、4人が同じ目標に向かって個々の業務を全うしていました。「こういうチームが成功するのだろう」という予感がどこかにあり、ハードな日々ではありましたが、私自身も担当業務を諦めない気持ちにつながりました。その後何とか、所属チームの担当システムを期日に間に合わせて稼働させることができました。とにかくホッとしたことを覚えています。後日、チームメンバーで乾杯してこれまでの頑張りをねぎらい合いましたが、チームで仕事をすることの重要性を深く実感する経験となりました。
稼働後はトラブルが発生することもありましたが、3ヶ月ほどで状況も落ち着きを見せてきました。自身が関与したシステムに実際に製品関連のデータがインプットされ、また各業務の方がそのシステムを使いながら仕事を行っている姿を見て、このプロジェクトに携われて良かったと改めて思いました。ユーザー部門からも「新システムになって使いやすくなったよ」とか、「よくやってくれたね」など、褒めていただく事もあり、それは私にとって新たなモチベーションにもなりました。忙しい日々でしたが、学ぶべきことが沢山ありました。

入社7年目/11年目  

二回の育児休職で生じたキャリアへの葛藤

2011年に第一子、2015年に第二子が生まれましたが、第一子の産休に入る時はキャリアから離れるのがとても不安でした。そんな気持ちから、生後六ヶ月で復職しました。復職直後は物理的にフルタイム勤務が難しく、メリーズタイム(時短勤務)を利用していました。子育てをしながら働きやすい環境ではあったものの、やはり時間の制約もあり、出産前と同じ働き方ができませんでした。育児休職前と同じ成果が出せていない事に、やきもきしながら悩んでいたことを覚えています。
そこから3年ほどの期間で徐々にペースが掴めてきたのですが、第二子の育児休職から復職した時には、同期から遅れているキャリアを目の当たりにして、とてもショックを受けました。私は5年ごとに自分の理想のキャリア年表を書くようにしているのですが、やはり、当時は理想通りには行きませんでした。同期や後輩が自分より早く昇進していくのを見て、理解はできるけど納得はできない、そういう心境でした。休職期間があり、また時短勤務を使ったことは、家庭と仕事の両立のため仕方がないことではありましたが、キャリアとの葛藤に悩んでいた時期ではあります。
働き方を徐々にフルタイムに戻していく中で少しずつ、その葛藤は少なくなっていきましたが、それでも私の仕事ぶりに足りないところがあれば、何が足りないのか考察し、定期的に上司とキャリアについて相談していました。

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入社14年目~17年目  

異なる文化・役割の中で得た信頼

夫の海外赴任の事情もあり、2018年からはタイ花王で働くことになりました。この期間も私のキャリアにおいてはとても印象的なものでした。まず驚いたことが、タイ花王では、イントラネット環境整備やパソコンデバイス手配も含め、ITの全分野を担当しなければならない事でした。一から学び直さねばならない分野がいくつもありました。(補足:日本花王の情報システム部門は分野別に担当者が分業)
また、タイ花王メンバーは管理職からの指示ラインを遵守するため、私のようなマネジメントライン外の駐在員の依頼には応じてくれない場面も頻繁にありました。着任後の約1年間は非常に苦労しました。
状況が上向くきっかけとなったのが、タイにある複数の花王グループ会社の統合プロジェクトでした。会社統合によりITシステムの統合も当然必要となりますが、当時は日本花王の主導が難しい状況下だったこともあり、ローカル側(タイ花王関係者)だけで統合を推進することになりました。頼れる相手がタイの現地メンバーと一部コンサルのみという状況下で、現地メンバーも皆一緒になって案件を考えてくれ、チーム力でなんとか本稼働にまでたどり着きました。文化やワークスタイルの違いもあって最初は馴染めずにいた現地メンバーにも、認めてもらえた実感がありました。

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現在と今後

理想の自分を諦めない

現在は環境情報系の部署に異動となり、チームリーダーを務めています。チームには入社2年目のAさんがいて、今、Aさんが育っていくことに高い関心を持っています。同じくチームには私の3年後輩のBさんもいて、Bさんはこのチームの担当分野のスペシャリストなのですが、Aさんには、私とBさんのノウハウをそれぞれ吸収して最強のメンバーに育ってもらいたいという想いがあります。自分の持っている知識や経験は全て、メンバーに伝えてあげたいとの気持ちです。この先私とAさん、Bさんが対等な関係として同じ目標に向かい、3名が個々の責任範囲で活動し、いろんなプロジェクトを成功させていく、それを直近のモチベーションとしています。
また中長期的にはグローバル規模で、各国グループ会社のIT部門を盛り上げていきたいとの夢があります。これまでは基幹系システムを学び、またアジアでの業務も経験しました。加えて新たにプロダクトライフサイクルマネジメント関連のシステムを勉強し、IT全体が分かるようになってから、グローバルでの花王IT戦略にも携わって行きたいと思っています。タイ花王時代、現地の女性管理職には、お手伝いさんの力を借りながら仕事に邁進(まいしん)している方が沢山いました。私もそれを見て、「お母さんになってもキャリアは諦めなくて良いのだ」と思うようになりました。これからも日々やりがいを感じながら、理想の自分に近づいていきたいと思います。

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