1931年(昭和6年)〜

1931年(昭和6年)〜

1931年(昭和6年)〜

大衆のための石鹸―よい品をより多く

花王石鹸の発売から40年。石鹸は舶来品から国産品へ、贅沢品から日用品へ変化をとげていました。代替わりし組織を一新した花王では、それをより多くの大衆の必需品とすべく新しい石鹸の開発に取り組みました。目標は、生地と香料をさらに良質なものにすること、安定的に大量に製造できること、そして伝統の枠練り製法を生かしながら純度をできる限り高めること。そうして1931年の3月、「新装花王石鹸」の発売となりました。99.4%という高純度、約7.5グラムの増量、しかも価格は従来15銭から10銭にという、まさに大衆のための石鹸の登場でした。

新装花王石鹸のキャンペーン

新発売を告げる宣伝活動は発売の前から始まっていました。前年の1月には月刊PR誌を創刊、発売年の1月には新聞1ページ全面を使った予告広告をうち、そして発売当日。初出荷に沸く工場員たちの実際の姿が全国紙の紙面を華々しく飾りました。デパートの店頭にキャンペーンガールを配したプロモーション、アドバルーン、ネオン看板、人気女優を動員しての街頭宣伝など、ありとあらゆる媒体を使った一大キャンペーンが展開されたのでした。

パッケージ

「新装」に込めた熱い思い

「新装花王石鹸」はその名のとおりパッケージもがらりと変わったものでした。新しい時代の石鹸にふさわしい新しいデザインをとの思いから、当時としては珍しいデザインコンペが行われることになりました。杉浦非水、廣川松五郎、上野正之助、村山知義といった、すでに第一線で活躍中の有名デザイナーに加え、当時駆け出しであった原弘が参加。その結果、7名中最年少の原の作品が採用されました。このパッケージは以後約20年にわたり生き続け、バーミリオン系の赤は「花王赤」とよばれるシンボルカラーとなりました。

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