1953年(昭和28年)~

1953年(昭和28年)~

1953年(昭和28年)~

配給の時代を乗り越えて

戦局の悪化に伴う物資不足は石鹸も例外ではありませんでした。石鹸の原料となる油脂は極度に不足し、メーカーは石鹸成分がわずか30%、粘土や陶土が主成分の戦時石鹸でしのぐほかありませんでした。戦争が終わっても配給制は続き、一方でヤミへ流れた油脂による粗悪なヤミ石鹸が横行するようになってしまいました。わずかながら残っていた戦前の純粋な石鹸はヤミ市で高値の売り買い。それほど人々は石鹸に飢えていました。この状況を打開すべく、花王は製品の開発に全力を注いでいきました。

豊かな時代は石鹸とともに

まずは1953年に「新型花王石鹸」「特型花王石鹸」が登場。戦前からの枠練り製法を引き継ぎ、さらに洗浄力を高めたものでした。この枠練りのよさを生かしながら、さらに泡立ち、溶けやすさといった機械練り石鹸のよさを取り入れたのが1958年発売の「新花王石鹸」。アルミ製の5色の包装は、新しい豊かな時代を実感させるものでした。折しも1950年代はテレビ放送も開始された時期でもあり、豊かになっていく日本人のお茶の間に、コマーシャルソング「花王石鹸の歌」(作詞作曲・三木鶏郎、歌・楠トシエ)が明るく流れていったのでした。

清潔の歴史

日本人と「清潔」

空襲を受け、焼け野原になった東京で、浴槽だけがかろうじて残った銭湯に青空のもと体を洗い入浴をする人々。粗悪なヤミ石鹸であってもそれを求めに集まる人々。どちらも日本人の清潔への強い思いを象徴する写真です。アメリカの人類学者、ルース・ベネディクト曰く「世界の国々に類例を見出すことの困難な」日本人と入浴の深い関わり。その後、銭湯(公衆浴場)の数は戦後目覚ましく増加し、やがて入れ替わるように内風呂が急速普及していきます。戦後の石鹸の進化はこのような時代とともにありました。

清浄の文化と花王

古代から近代、そして現代へと受け継がれ発展してきた暮らしの中の「清浄」文化。花王ミュージアムでは、その歩みをさまざまな史料とともに紹介しています。1890年の「花王石鹸」発売に始まり、シャンプー、洗濯洗剤、そして化粧品と、「よきモノづくり」によって、清潔な暮らしを広げてきた花王の歴史もたどることができます。

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