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未来へのメッセージ

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1. 人との絆で居場所はつくられる。

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震災から10年。いま、
あらためて伝えたいこと。

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震災当時のこと

 3月11日。あのとき仕事中に地震がきて、物がいろいろ倒れたり、女性を外に非難させたり会社のことをわーっとやっているうちに、ふと、足が不自由な母のことを思い出しました。会社の人たちがまだ片付けをしているなか「ちょっと母のことが心配なので」と言って先にあがらせてもらいました。
 家から職場までは15分くらいなのですが、いつも使っている国道6号線が使えなくなって、1時間以上かけてやっと帰ることができました。

 その日はたまたま母のケアサービスが来てくれる日で、スタッフの方がちょうど家にいてくれたおかげで大事には至りませんでした。そこから妻も帰ってきて、子供も先生が家まで送ってくれて。私は消防団の集合がかかっていたので、あとのことはまかせて出かけました。

 会津美里町と楢葉町は姉妹都市で、会津美里町に避難させてもらえるという話になりました。私は消防団の仕事もあるのでなるべく残って楢葉で手伝いたいという思いがあり、プールの水を消防車のポンプで汲んで、バケツリレーでトイレに並べてというのを1週間くらい続けていました。
 それから順番がまわってきて、私たち家族も会津美里町の仮設住宅に移住しました。楢葉と違って雪がかなり残っていて、「3月なのにまだこんなに雪があるんだ」と思ったことを覚えています。

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仮設住宅のこと

 美里町に仮設住宅が急ピッチでできて、私たちが入ったのは7月くらいでした。間取りは台所と2部屋。
家族が多いところは真ん中の仕切りをとって2部屋を1部屋のようにして、そこに5-6人の家族が入っていました。他にはペットの問題もいろいろあったので、ペットがいる棟というのも新たに区分けして作りました。
 当時住んでいたのは500人くらい。「雪さえなければ会津は最高だ」と、みなさん口癖のように言っていましたね。

自治会長のこと

 3つ年上の先輩から「仮設住宅に自治会を作るので協力してもらえないか」と誘われたことがきっかけで、最初は副会長のような感じでお手伝いをさせてもらいました。回覧板をまわしたり、月1回仮設内の掃除をしたり、夏祭り、盆踊りなどの行事も計画しました。
 そのときの自治会長さんが自分で仕事をされている方だったので、代わりにやってくれないかと頼まれて、2年目くらいから仮設が終わるまでやることになりました。
 仕事は仮設住宅の連絡員として役場に採用してもらうことができ、連絡員の仕事をしながら自治会長の活動も両立することができたので本当に助かりました。

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会津美里町との縁

 震災当時、父は隣町の病院に入院していたのですが、病院から避難したため震災から1カ月近くどこに行ったのかわからなくなってしまいました。
 たまたま美里に来たら、偶然すぐ近くに楢葉の患者さんがまとまって入っていて。父がいたのは私たちの避難先から車で5分もかからないところだったんですよ。「こんな近くにいたのに!」と驚きました。

キャラバンのこと

 ふれあいながら、というのが特によかったと思います。
歌は忘れちゃったけど、いまだにあの感じで手洗いをしています。ハンドマッサージはみなさん笑顔でやっていたなという記憶があります。特に年配のお母さんが多かったですよね。

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楢葉町と会津美里町について

 楢葉にいた人が、今何人くらい戻っているのか把握していないのですが、3分の1くらいの人口が戻っているのかな、という感覚ですね。
 原発の作業員の方や東電の社員の方が社宅や寮に住んでいて、そういう方も含めての人口でしょうから、これから役場の人は大変だろうなとは思います。

 私自身は、今のところはこっち(会津美里町)にいようかなという気持ちです。

 10年いて、こっちが住みやすくなっちゃったという本音もあります。仕事をこちらでさせてもらっているというのもあるし。でも最終的には自分の入るお墓はあっちにあるので、最終的には戻ろうかなと考えることもありますが…。 あまりにもいろいろ変わりすぎたので、これ以上変わるのはいやだなという気持ちはあります。今は気持ちが安定しているので。
 この震災で心がやられちゃった人がいっぱいいますから、自分もいつそうなるかわからないです。戻れるなら戻りたいですね、震災前に。

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会津美里町宮里仮設住宅 元自治会長
渡辺敏正さん

震災後、楢葉町から会津美里町に避難し、現在も会津美里町にお住まいの渡辺敏正さん。仮設住宅では2年目から自治会長を務め、清掃活動やイベントの計画を立てるなど、仮設住宅から全員が退去するまでコミュニティ活性化のため尽力されました。

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