1890年(明治23年)〜

1890年(明治23年)〜

1890年(明治23年)〜

「花王石鹸」のはじまり

花王石鹸は、1890年(明治23)に生まれました。この頃の石鹸は、高価な贅沢品であった舶来物か、廉価で手に入りやすいが品質の劣る国産のどちらかしかありませんでした。この状況をなんとか変えたいとの使命に燃えたのが、当時東京・馬喰町で洋小間物商を開業したばかりの長瀬富郎でした。友人の職人や研究者らと力を合わせ、また自らも調合技術を学んで半年にわたる試行錯誤の結果、ついに完成。ひとつひとつ、ろう紙で包んだ上に能書と証明書を巻き、桐の箱に収めるという、中身も包装も高品質を追求した純国産石鹸が誕生したのです。

顔あらい=花王石鹸

長瀬が目指したのは外国産にまけない日本の石鹸の「銘柄」を確立することでもありました。彼は当時一般に使われていた「顔石鹸」という呼称からこれを発想、顔を洗える高品質な石鹸として「香王」「華王」と経て、分かりやすく読みやすい「花王」に決定しました。また、日本国内だけでなく東洋一のブランドをとの思いから、能書には桜ではなく、東洋で花の王として愛されている牡丹を描きました。美と清潔のシンボルとして月をモチーフにしたおなじみのマークの原形も同時に誕生、「月のマークの花王石鹸」の歴史がここに始まりました。

広告

よいものは、人に知られてこそ

花王石鹸発売開始と同時に、積極的な宣伝・販売活動が行われました。ポスターや新聞広告などのほか、歌舞伎など劇場の引幕、隅田川の蒸気船の屋根、浴場の湯船に浮かべる浮き温度計など、独創的な広告媒体を次々に開拓。その中で、東京大阪間が開通したばかりの東海道本線沿線に掲げられた野立て看板は、鉄道広告の第一号といわれています。良いものは、その良さが広く人に知られ使われてこそ初めて価値を持つ──長瀬の強い信念に貫かれたこの活動が実を結び、ほどなく「花王石鹸」は全国ブランドへと成長していきました。

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