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よく噛んで味わって食べる効用―メタボリックシンドロームと肥満の予防対策

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大分医科大学 名誉教授
中村学園大学 栄養科学部 教授
坂田 利家
咀嚼による脳のしくみから、肥満の予防効果や咀嚼のコントロール方法について、坂田先生にお話をうかがいました。
咀嚼は満腹感を強める
 昔から、肥満の人は早食いや荒噛みが多いといわれますが、食物を口の中に入れた後の行動と肥満に関する研究はほとんどされてきませんでした。歯と歯茎の歯根膜や頬の咬筋から中脳に刺激が伝わり、咀嚼を調節していることは知られてきましたが、満腹や摂食にかかわるのは中脳と別の視床下部ですので、神経が働く場所が異なっています。そこで、咀嚼と満腹や肥満との関わりを解明しようと研究を始めました。
 まず噛む回数や噛む力といった咀嚼が肥満に関係するのかを明らかとするため、軟らかい餌と硬い餌を準備し、餌の硬さによってネズミの摂食行動に変化が見られるかを検討しました。その結果、軟らかい餌を食べたネズミは、硬い餌を食べたネズミに比べ、1回の食事時間が有意に速くなり、食べる量も増えており、咀嚼が摂食行動に影響を与えることが確認されました。
 そこで、脳の視床下部にある満腹中枢と中脳にある咀嚼中枢とは、どのように連携して摂食行動を調節しているかを検討してみました。その結果、次の2つのことが明らかになりました。まず、咀嚼中枢は摂食量そのものには関与せず、食べる速さの調節だけに関わっていることでした。今一つは、食事で咀嚼をはじめると、神経情報の入力は咀嚼中枢が先で、満腹中枢はその後に続くということです。しかも、この神経活動は咀嚼に特有なもので、他の口腔内感覚刺激、エネルギー摂取、胃やその他の臓器からの入力信号などでは、誘発されないことも明らかになりました。
 咀嚼の実験とは別に、私たちは脳内のヒスタミン神経系によるエネルギー代謝調節の仕組みを長年にわたって調べていましたが、この頃にはヒスタミン神経系が食欲を抑制し、エネルギー消費を促進することを突き止めていました。エネルギー消費では末梢脂肪組織の脂肪分解と脱共役たんぱくによる熱放散をともに増加させるという結果を得ていました。ヒスタミン神経系は他の神経系とは異なり、シナプス形成がまれですが、中脳にある咀嚼中枢には例外的に、しかも巨大なシナプス形成がみられことが、丁度その当時発表されました。この結果に励まされさらに調べてみますと、咀嚼中枢の興奮は視床下部に伝達され、神経ヒスタミンを量産することがわかりました。この量産された神経ヒスタミンは脳全体に伝搬され、なかでも満腹中枢にその受容体が密に分布するため、満腹中枢が興奮して満腹感を増強することが明らかになりました。(8頁コラム参照)
咀嚼による内臓脂肪削減効果
 満腹中枢は交感神経の中枢でもあるので、咀嚼中枢の賦活によって脳のヒスタミン神経系が活性化されますと、交感神経経由でとりわけ内臓脂肪が燃焼することになります。つまり、咀嚼は内臓脂肪を特異的に減らします。もっと詳しく調べると、咀嚼は内臓脂肪を分解するだけでなく、脂肪合成に必須な酵素の活性を抑え、さらには脂肪の材料になるグルコースを脂肪細胞内へ取り込ませないように働いていることがわかりました。このように、咀嚼は三段構えで内臓脂肪を減らすので、内臓脂肪の削減法としては優れた効果を発揮します。
 運動は内臓脂肪を効率よく燃やすことが明らかになってきたので、メタボリックシンドロームや内臓脂肪型肥満の予防や治療には、最近では運動が奨励されています。しかしそこには一つの落とし穴があるのです。運動でエネルギーを消費すると、摂食中枢が興奮して空腹感を増強させ、失ったエネルギーを取り戻すように、つまり物を食べるように駆り立ててきます。運動で一気に内臓脂肪を減らそうとすると、逆にリバウンドを起こす結果になるのです。とりわけ、内臓脂肪は「燃えやすく、たまりやすい」という特徴をもっているので、リバウンドには十分注意する必要があります。運動をうまく使うには、次の2つのことを守って下さい。その1)1回の運動はほどほどの量にとどめ、毎日続けるようにましょう。成功率がもっとも高いのは、日常生活の中で少しでよいから身体を動かす工夫をし、それを習慣化することです。その2)運動後にお腹が空いたら、食事に時間をかけてしっかり噛んで食べましょう。
理屈ではなく感覚の修復が大切
 肥満症の特徴は空腹感や満腹感がわからなくなることです。お腹が空いて食べるのではなく、お腹がいっぱいという感覚を感じ難く、食べ始めると止まらなくなり、美味しさ、楽しさといった感じがわからなくなってきます。だから重症化すると、食事の美味しさ、楽しさ、心地よさといった自覚がわからなくなってきます。この空腹・満腹感の感覚異常は実験的にも確認できています。肥満症患者のなかには「水を飲んでも太る」という人がいます。このような患者にそんなことはないといくら説得しても、1週間後には数kg太って戻ってこられるのがオチで、減量治療としてはまったく役に立ちません。肥満症では言葉や概念が治療手段にはなり難い、このことをよく自覚することが大切です。肥満症の予防や治療には、まず空腹や満腹という感覚をいかに正常レベルまで戻すか、これを治療目標にすることです。
 咀嚼の持つ重要な点は、咀嚼法を実施していると感覚が改善されてくることです。よく噛むと、「キャベツってこんなに甘味があるんですね」と患者は驚くようになります。今まで感じなかった味覚が少しずつわかるようになり、おいしいという感覚や満腹感が蘇ってきます。このような感覚の蘇りは治療がはかどっていることの目安になり、一つの治療指針にもなります。
 実際に咀嚼法を指導する際には、まずは患者ができる範囲の回数、たとえば1口10回ならやれるといえば、1口10回噛む約束をします。成果は○×で表記させます。その際、9回でも11回でも×で、○は10回に限ることをよく理解させておくことです。肥満症患者の特徴は行動が大きくブレることにあるので、徹底的にやるかまったくやらないかどちらかに偏りがちです。初めから何十回も噛むと次回は全く噛まない、ということになるのです。1口の噛み回数は30回が限度です。30回も噛むと、一回の食事は20分から30分位まで延びてくるので、先に述べたヒスタミン神経の働きが充分に現れてきます。
 栄養士にとってエネルギー摂取の計算は栄養指導をする上で重要な武器です。だから、栄養士ほど肥満症の予防や治療に対し熱心に取り組んでいる治療者はいません。しかし、この努力の割りには、減量は必ずしもうまく成功しているとは言えません。エネルギー摂取の計算を患者に強いるというのは、概念を患者に強要するのと同じ結果を招きます。くるった時計を修正するのに、秒針から直す人はいません。時間針、次に分針と直していきます。肥満症の治療ではステップを間違えると、治療は成功しません。時間針にあたるのが空腹感や満腹感の修復なので、おいしさや心地よさといった感覚を取り戻すステップが、治療の最初に取りあげられなければなりません。少しの工夫が治療成果を大幅に改善することは、よくあることです。今、栄養士ほど肥満症の予防や治療に熱心な治療者はいません。皆さんが効率の良い肥満症やメタボリックシンドロームへの取り組みを創意工夫なさるよう期待しています。
外食や旅行で食べ過ぎそうと思ったら咀嚼を心掛ける
 外食や小旅行で食べ過ぎそうだなぁという時に、「食事の量を半分に削る」という患者がいます。半分量に削る欠点は、後で必ずお腹が空いてくることです。削るという意志の力によって成功するのはたかだか数回で、やがては間食やどか食いで失敗することになります。意志の力では食欲に勝てないことを思い知るべきです。空腹感を抑えることが先決なので、そのためには咀嚼を活用することです。外食や旅行で失敗しそうな時には、野菜類、海藻類、きのこ類といった無(低)エネルギーの食物線維に富んだ食材をかき集め、10分位よく噛んで食べた後に食事をするのです。
 噛むにはどんな素材がいいのですか、ガムは?根昆布は?とよく聞かれますが、私が推奨していいるのはあくまで食事です。確かにガムやこんぶでもヒスタミン神経系は賦活化されます。しかし、肥満症治療の最大の敵は間食です。食事でない時にガムやこんぶを噛むのは間食を助長するのと同じ結果になり、治療的には有害です。咀嚼は食事とセットなってはじめて効果があるのです。
咀嚼を追及して肥満の予防や治療に生かす
 肥満症やメタボリックシンドロームの患者のほとんどは、十分な咀嚼ができていません。その意味では、日本食ほど咀嚼の訓練食として有効な食事はありません。欧米食に較べると低エネルギーで、食物繊維をたくさん含んでいるので、ヒスタミン神経系を賦活化するには理想的です。このような視点から開発されたのが日本食化(超)低エネルギー食療法です。なかでも、主食である米飯は咀嚼にはもっとも適した食材です。満腹感、内臓脂肪分解、熱放散のいずれの点でも、パンと較べてみるとその差は歴然としています。日本食は食材をそのまま使う料理が多いので、必然的に噛まなくてはならなくなると言う利点があります。食事は1日必ず3回摂ることになるので、他の日常生活改善のように習慣化が難しいという欠点が少ないのです。「何時でも、何処でも、誰にでもできる咀嚼法」、このシンプルな内臓脂肪蓄積防止策は、今後の内臓脂肪型肥満やメタボリックシンドロームの予防や治療にとって計り知れない福音をもたらす手立てなのです。
坂田 利家(Sakata Toshiie)
医学博士

1962年九州大学医学部卒業、1967年九州大学大学院卒業。医学博士。米国ピッツバーグ大学医学部研究員、1986年九州大学医学部助教授、1992年大分医科大学医学部第一内科教授、2002年より大分医科大学名誉教授、現職に至る。
国際食欲飲水学会常任理事、国際食欲神経科学会議アジアオセアニア代表、国際病態生理学会常任理事、日本病態生理学会理事長、日本肥満学会副理事長などを歴任。
専門は中枢内分泌・代謝学、時間栄養学。
編書に「脳と食欲」(共立出版、1996)、「肥満症治療マニュアル」(医歯薬出版、1996)、Histamine Biology(SpringMed、2004)など。
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